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シンエヴァ見て思ったこと

この前投稿した感想文も思ったことちゃうんかいという感じだけど
タイトル思い付かなかった。
考察できるほど頭良くないから普通に感想文。

以下「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ラストに関わる話

シンエヴァをラストまで見て、エヴァは何度も繰り返してる話というのがわかったわけだけど
繰り返しのたびに全く同じことをしているわけではなく、過程や結果が微妙に変化しているっぽい。

その変化がなぜ起きるかって言うと、たぶん前回の記憶を引き継いでる人がいるのか
もしくは死海文書みたいな感じで過去の記録が閲覧できるのか。
生命の書みたいな話もあったし、なんらか前回の知見を引き継いでいる人がいて
そういった一部の人達がトライアンドエラーしてるんだよね。

このトライアンドエラーできる一部の人達を周回プレイ中のプレイヤーとするならば
それ以外の人々は、いわばゲームのキャラクターみたいなものかなと。
大まかに役どころや最後といった人生の大枠が決められていて、プレイヤーの干渉によって
微妙にその内容が変化するだけの存在。

プレイヤー側は便利そうなキャラを生かしたり、不便なキャラを退場させたり
あるいはやっかいなフラグを立てないように回避したりとしていて
その他のキャラは、プレイヤーの望むエンディングを見るための駒として動いてるだけになってそうなんですよね。

 

そう考えるとシンジとマリの立ち位置が見た目と実際で大きく変わってくる気がする。
シンジはエヴァの世界を左右する超重要人物である事には違いないんですが
シンエヴァ終盤までは繰り返しを自覚していない、いわばキャラクター側の存在として振舞ってきた事になる。

エヴァの世界は、どこかのタイミングでゲンドウとマリという2人のプレイヤーによる対戦プレイに近い状況になっていたんじゃないかと。
そう考えると、「TV版」「旧劇場版」「漫画版」「新劇場版」それぞれはシンジが主人公に見えるんだけど
それら全てを内包する「エヴァンゲリオン」という大きなシリーズ作品として見たら 主人公はマリになっちゃうんじゃないかなと思う。
わかりにくい例えだと、エヴァンゲリオンの全体像はシュタインズゲートみたいな話だったと。

もちろん最終的にはマリやゲンドウにもコントロールできない、シンジの決断でラストが決定しているわけで
最終的にシンジが主人公から脱落するわけじゃないんだけど
ただ後から考えるとマリはシンジに匹敵するほどの、裏主人公みたいな存在になっていたと思う。
マリは新劇場版の途中から出てくる、言葉は悪いけれどもポッと出のキャラで
そういう「新参者」がここまで重要なポジションを持っていくっていうのは、最初気付いた時は違和感や気持ち悪さを感じなくもなかったかな。

ただまぁ、多少のクールダウンを経て、まぁいいんじゃないのって気分になれたから
マリの辿ってきた繰り返しの様子を想像してみた。

エヴァの世界が繰り返しているという事は、最終的にシンジがトリガーになってインパクトを起こすというルートを繰り返してきたということ。
これはゼーレにしろゲンドウにしろ、彼らが主導でインパクトを起こした時点で繰り返しが止まるから。
なのでどのループでも基本的にシンジが最終局面の決定権を握る形になっていることは間違いない。

マリが目的を達成するためには、必然的にシンジに近付かなくちゃいけなくて
つまりはエヴァパイロットとしてネルフに入り込む必要がある。
そして使途の撃退や、最終局面のインパクトを巡る戦いではアスカとも共闘する事になる。

何回も繰り返すループの中で、アスカとは数十年数百年を一緒に戦った戦友であり
シンジも何度も何度もその成長を見届けた男の子ってことになる。

ここで視聴者にとってマリは、ついこの前登場したばかりのシンジ達との付き合いも浅いキャラというイメージを持っているのに対して
設定的にはむしろどのキャラよりもシンジやアスカとの付き合いの長いキャラという事になる。

この視聴者のイメージと設定との間にある、マリに対する認識の齟齬が
ラストシーンの賛否両論に繋がってるのかなと。

マリがアスカを気に掛けるのは、物凄く長い時間を過ごした戦友な事に加えて
おそらく各ループでアスカの抱える苦悩や、救いのない最期を何度も目の当たりにしてきたわけだから
この辺を思えばクライマックスでの「姫の魂を救ってあげて」って訴えた理由もよくわかる。

かなり唐突感のあった「必ず迎えに行く」のやりとりも
シンジと何度も似たような事があった事を思えばって感じかな。
毎回、インパクトの中心に放り込まれて、全世界の命運を握らされるシンジを見送るだけだったであろうことを考えると
迎えに行くって言葉は一種の決意表明だったんじゃないかなと。

少なくともシンジとアスカに関しては
少なからず自分の目的の駒のように扱う事に負い目を感じていて
シンエヴァのクライマックスには、彼女なりの「落とし前」がかなり含まれていたように思う。

それ以外のキャラに対して冷たすぎないって疑問が浮かばなくもないけど、それはそれ。
旧来のキャラクターだけでは似たようなループを繰り返すだけになっていただろうから
そういうループの流れを断ち切るために投入されたキャラなのかもしれない。
そう考えると、ある種のスタッフ側の感情移入が含まれているというか
シンエヴァ終盤で、マリが突然距離感ミスった発言を繰り出す理由は
スタッフ側からのシンジ達に対するけじめのように見えますね。

まぁ、設定とかの考察は全くできないんで、トンデモな意見になっているのは承知の上。
個人的にはそう思うという感想文でした。

 

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